日本半導体産業の歴史




こんにちは、プロクラスの國府です。

日本は世界的な半導体技術の中心地として長い間、その名を刻んできました。この小さな島国から生まれた半導体技術は、現代のデジタル時代を支える不可欠な要素の一つとなりました。日本の半導体産業は、その輝かしい過去と未来への挑戦を通じて、常に進化し続けてきました。
このブログでは、日本の半導体産業の歴史を探り、その発展の背後にある魅力的なストーリーを紐解いていきたいと思います。

第1章: トランジスタの誕生と日本の半導体の原点(1950年代)
日本の半導体産業の歴史は、1950年代のトランジスタの発明とともに始まります。この小型の電子デバイスは、当時の電子機器を革命的に変えました。日本の研究者たちも、この分野で重要な役割を果たしました。
1952年、東京工業大学の半導体研究グループは、最初の日本製トランジスタを開発しました。これはその後の日本の半導体産業の礎となり、世界中の研究者に影響を与えました。日本はトランジスタ技術の開発において世界のリーダーとなり、半導体産業への道を切り開いていきました。
東京通信工業(現ソニー)が携帯型トランジスタラジオ(乾電池)を販売。1950年代後半ごろにはトランジスタラジオの生産数は、米国を抜いて日本が世界一となります。

第2章: 超LSI時代への飛躍(1960・1970年代)
1960年代から1970年代にかけて、日本の半導体産業は急速に成長しました。特に、大規模集積回路(LSI)技術の進歩は注目に値します。日本企業は、コンピュータや通信機器などの分野でLSIを開発し、世界市場で競争力を発揮しました。
1970年代後半から1980年代後半には、日本の企業がDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)の製造で成功を収め、世界的なトッププレイヤーとなりました。これにより、日本の半導体産業は国内外で注目を浴び、成長を続けました。DRAMは、主記憶装置やメインメモリとよばれ
CPUが使う情報を一時的に記憶(電源がきれると記憶が失われる)しておくところです。
下の写真がDRAMです。

下記のグラフは、DRAMの国別シェアになります。



第3章: バブル崩壊と再建の時代 1990年代
しかし、1990年代には日本の半導体産業に大きな試練が訪れました。日本のバブル経済が崩壊したり、1986年に締結された「日米半導体協定」により米国からの理不尽な条項をのまされたり、アジア諸国や米国の競合企業が技術革新を遂げ価格競争が激化し多くの企業が困難な状況に立たされました。
その後、日本の半導体産業は再建の道を歩み始めました。研究開発への投資と効率化が進み、特にフラッシュメモリの分野で再び競争力を取り戻しました。また、日本の企業は他国との協力を強化し、共同開発プロジェクトに参加することで技術の進化を支えました。

第4章: 未来への展望
現在、過日本の半導体産業は再び世界で注目を浴びています。AI、自動運転、IoTなどの技術革新が進行し、これらの分野での需要が高まっています。中国の台湾への侵攻による地政学リスク回避のため、熊本にTSMCの工場建設が進められたり、トヨタやソニーなど国内大手8社が出資するラピダスは、次世代の回路線幅2ナノメートルのロジック半導体の製造を目指している。25年4月までに試作ラインが稼働する予定で、北海道に工場の建設が発表されました。
日本が世界の半導体テクノロジーの進化にどのように貢献していくのか、そしてどのように挑戦に立ち向かうのか期待したいと思います。