論理的に考えたらどう変わる?




こんにちは、プロクラスの野間です。

今回は論理的な思考ってどのようなものかを考えてみたいと思います。
どこまで出来れば論理的な思考なのか。などの難しい話は私も存じませんが、論理的にものを考えるってどんなことなんだろう・・・を出来るだけ見える形で書いてみました。
今回の例では「論理的に考えられたら行動がどのように変わってくるか」で表現してみました。

皆さん、自分が始めてお使いを頼まれたときの年齢はいくつでしたか?
テレビ番組でやっているような小さな子どもが買い物に行くときを題材に、チョット論理的な思考の流れを比較して考えてみたいと思います。

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お題

母「●▲スーパーに売ってるから、●▲スーパーに行って■■を買ってきて」
子「は~い」

問題発生

無事に●▲スーパーに到着
ところが・・・ここで問題が発生します。
お母さんは●▲スーパーに■■が売っていると言っていたのに、■■が売っていないのです!!!

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パターン1:論理思考が全く出来ないと・・・

「●▲スーパーで■■を買ってきて」と言われたのに、売っていない!
どうしよう・・・どうしたらいいんだろう・・・
オロオロ

これは文字通り論理的な思考が出来ていないパターンです。
言われた通りにやろうとしているだけで、自分では全く何も考えていません。
だからオロオロするだけで何も出来ていません。

パターン2:ちょっぴり残念な論理的思考

「●▲スーパーで■■を買ってきて」と言われたのに、売っていない!
どうしよう・・・売ってないものは仕方がない。
買わずに帰ろう!

これが論理的な思考なのか疑問が残りますが、私的には自分で考えた結果、指示された以外の答えを導き出せているのですから、論理的に考えた結果ではないかと思います。
パターン1と比べれば良い結果になっていますよね?
ちょっぴり残念な結果ですが・・・

パターン3:ちゃんと考えた論理的思考

「●▲スーパーで■■を買ってきて」と言われたのに、売っていない!
お店の方に■■が無いか聞いてみよう!
店員「在庫もありません」
しょうがないから帰ろう・・・。

内向的な性格の方にはハードルが高いですが、それは焦点からずれますのでここで性格は考えないで進みます。
パターン3の考え方は問題点をとらえて解決策を思考できています。
パターン2より一歩前進した考え方が出来ていると言えるかと思います。
ここでのポイントはお店の方に聞けるか?ではなく、「聞くことを思いついたかどうか」です。手段は何でも良いのです。目的達成のために発生した問題の解決方法を考えること、そして、思いつくことが大事です。
在庫が無かったのは残念ですね・・・

パターン4:頑張った論理思考

「●▲スーパーで■■を買ってきて」と言われたのに、売っていない!
お店の方に■■が無いか聞いてみよう!
店員「ごめんなさい在庫もないんです」
売り物なんだから他の店にも売っているはず、他に売っている場所を聞いてみよう!

かなり頑張った考え方です。
ここでの着目点は「目的」の「理解の仕方」では無いでしょうか。
今回の目的は大きく2つに分けることが出来ます。
・●▲スーパーで
・■■を買ってきて
パターン3までの子が意図して考えたかは不明ですが、パターン4ではお母さんの目的を正しく理解し、「■■がほしいんだな」と理解できた事になります。
つまり、前半の「●▲スーパーで」買う必要は無い。点を理解した事になります。
更に、パターン3の子も同様ですが、「どこで買っても良いが何処で売っているかわからない」等、目的を達成するために発生する問題の解決方法も考え付いていることになります。
私たち大人からすると、当たり前といえることですが、子どもの頃を思い出してみると、それが出来なかった時期があったはずです。
これがどんどん発展していくと、推理小説に出てくる探偵のような考え方につながるのでしょうね・・・

「今回の買い物のような簡単な事なんて全然比較にならないよ!」と見るのは間違いです。
それこそ今回の例を論理的に見ると、重要なのは「知らない事」に対して、どのように「思考するか」が重要なのです。
今回の例で「知らない事」は「買いに行ったものが無かった場合の対処方法」です。
これが皆さんの場合には別の何か「犯人は誰なのか」だとか「研究結果が思った通りにならない」です。
本人が「知らない」のだから「貴方が知っている=簡単」とはならないのです。
その結果「だったらどうするか」に繋がります。

これ(問題の発生と解決)をやり続けると、その考え方が「習慣」になります。
性格に出てくる問題かもしれません。
つまり、子どものうちにはじめると、
「知らない=諦める」ではなく「知らない=チョット考えてみる」とか「知らない=とにかく何かやってみる」等の差になっていく思いませんか?